2020/08/02
第0回:白メガネをかけるまで
今を去ること20年以上も前、
30代前半からクリア(透明)メガネフレームを愛用している。
本題に入る前に、それ以前のわがメガネ遍歴をざっと振り返っておこう。
【マジメ少年期の黒メガネ】

■1975年4月(15歳) 「愛と誠」の岩清水か?
中学期は絵に描いたような超マジメな優等生。
当然メガネもごくごく普通の黒いセルフレーム。
【暗黒の始まりは高校時代】

■1977年8月(18歳) 何が哀しくてここまでグレる?
優等生を無理に演じていた中学期の反動が一気に噴出した高校時代。
私服通学をよいことに、毎朝のように吉祥寺で途中下車。
喫茶店でタバコをふかし、午前中はパチンコ屋「ワールド」「武蔵野センター」で負け、
昼休み時間の高校に顔を出し、3人メンツを集めて吉祥寺にとんぼ返り。
当時北口駅前にあった「東南荘」で麻雀に興じていた。
メガネも黒セルからいきなりレイバン風度付きサングラスへと変わる。
【一見マジメに戻ったかに見えた20代後半】

■1987年5月(27歳) てっぺんパーマと真ん丸メガネ
警察のお世話にこそならなかったものの、悪逆非道の限りを尽くし、
親に心配をかけ倒した20代も後半を迎え、少しずつ落ち着きを取り戻し始めた頃。
メガネはこの当時流行ったウェリントン、というよりアラレちゃん風の真ん丸フレーム。
【驚くほど短かったバブル絶頂期】

■1991年9月(32歳) いよっ、取締役副社長~♪
友人と起業した会社の新製品発表展示会での一コマ。
実はこのとき左右にコンパニオン会社から派遣されたオネイサン方がいて、
まさに両手に花、束の間のわが世の春。
メガネは相変わらずデカいが、ちょいと茶色のマーブルがかっていたりして、
(あくまで個人の感想だが)今見るといかにも青年実業家っぽくてイヤな感じ。
このわずか3年後に、坂道を転げるように地獄の底まで堕ちて行くことになろうとは、
まさしく神ならぬ身の知る由もなし。
ところでこれは本ブログの趣旨から外れるが、最後の2枚を見比べてほしい。
この5年間で少なからず顔の輪郭が丸くなってきているのが如実にわかる。
そしてこの傾向はこの後20年は続いていくことになる。
30代前半からクリア(透明)メガネフレームを愛用している。
本題に入る前に、それ以前のわがメガネ遍歴をざっと振り返っておこう。
【マジメ少年期の黒メガネ】

■1975年4月(15歳) 「愛と誠」の岩清水か?
中学期は絵に描いたような超マジメな優等生。
当然メガネもごくごく普通の黒いセルフレーム。
【暗黒の始まりは高校時代】

■1977年8月(18歳) 何が哀しくてここまでグレる?
優等生を無理に演じていた中学期の反動が一気に噴出した高校時代。
私服通学をよいことに、毎朝のように吉祥寺で途中下車。
喫茶店でタバコをふかし、午前中はパチンコ屋「ワールド」「武蔵野センター」で負け、
昼休み時間の高校に顔を出し、3人メンツを集めて吉祥寺にとんぼ返り。
当時北口駅前にあった「東南荘」で麻雀に興じていた。
メガネも黒セルからいきなりレイバン風度付きサングラスへと変わる。
【一見マジメに戻ったかに見えた20代後半】

■1987年5月(27歳) てっぺんパーマと真ん丸メガネ
警察のお世話にこそならなかったものの、悪逆非道の限りを尽くし、
親に心配をかけ倒した20代も後半を迎え、少しずつ落ち着きを取り戻し始めた頃。
メガネはこの当時流行ったウェリントン、というよりアラレちゃん風の真ん丸フレーム。
【驚くほど短かったバブル絶頂期】

■1991年9月(32歳) いよっ、取締役副社長~♪
友人と起業した会社の新製品発表展示会での一コマ。
実はこのとき左右にコンパニオン会社から派遣されたオネイサン方がいて、
まさに両手に花、束の間のわが世の春。
メガネは相変わらずデカいが、ちょいと茶色のマーブルがかっていたりして、
(あくまで個人の感想だが)今見るといかにも青年実業家っぽくてイヤな感じ。
このわずか3年後に、坂道を転げるように地獄の底まで堕ちて行くことになろうとは、
まさしく神ならぬ身の知る由もなし。
ところでこれは本ブログの趣旨から外れるが、最後の2枚を見比べてほしい。
この5年間で少なからず顔の輪郭が丸くなってきているのが如実にわかる。
そしてこの傾向はこの後20年は続いていくことになる。
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